とある方から相談を受けた。
「変態の自分と、いつもの自分。どちらが本当の自分かわからないのだ」と。
私の答えはこうだ。
[どちらの自分も本当の自分]。
私も以前はSMを愛する自分、職場での自分、家族に見せる自分、恋人に見せる自分、友人に見せる自分。
そのそれぞれが微妙に異なり、微妙に重なり、どれが本当の自分か迷うことがあった。
そして今、私はこう思う。
〔全部本当の私〕なのだと。
病気や不幸で苦しんでいる人を見ると救いたいと思う。
だけど、誰かを徹底的に痛めつけたい自分もいる。
もしどこかで災害が起きて、自分に時間とお金と体力に余裕があればボランティアに行きたいと思う。
現地でできる限りの援助を行いたいし、そこで起きた災いに涙も流すだろう。
だけど、その夜にホテルに”SMの対象者”がいれば全力で苦しめるし、虐める。
そんなものだ。
SM欲があるマゾは情けない自分に苦しむかもしれないし、SM欲があるサドは残虐な自分に悩むかもしれない。
それでもあなたはそれでいいと思う。
もし、SMに罪悪感を感じることがあれば、別の場面や機会でその贖罪をすればいい。
他方で私はSMとは究極の人間関係だと思っている。
たかがSMでも、その奥には愛や優しやさ、学びが詰まっている。
SMで見つけた価値観が仕事に活きることもある。
SMが見つけてくれた愛情が、誰かを救うこともある。
「性」という言葉は「心」に「生きる」と書く。
性欲を人にぶつけることはしてはいけない。
でも、性癖を追求することはもっと皆がしてもいいと思う。
全ての自分の性癖に苦しんでいる人が、満足を手に入れることが出来たら良いなって思う。
そういう世の中になるための、一助になりたい。
Rina