エロ、SM、裏垢などの言葉で表現される世界の人口の多くは男性だと思う。
実際に私たちも男性読者を意識した構成をしている。
セクシャルリベンジクラブは男性目線のマーケット視点を取り入れているし、仲の良いフォロワー様や現実の世界でM男性やS男性の意見や感想のヒアリングに努めている。
当初このクラブ(WEBサイト)を創ろうと企画したとき、多くのビュー集めやファン獲得を目指すなら小説というのは時代遅れだという意見があった。
そして今でもそれは私の中にある。
- 生身の女性と触れ合える
- 生身の女性の動的な映像が見れる(動画など)
- 生身の女性の静的な映像が見える(写真など)
- 女性性的なイラストや漫画
男性なら上記の4つが上位に来る願望だと思うし、上から順に願望を抱いていると思う。
同時にASMRと言ったジャンルが人気を博し、「音声」というコンテンツも伸び始めた。
私たちは”目で耳でもない”。
ただの文字だ。
なんて時代遅れなのだろう。
なんて相手にされないコンテンツなのだろうと考えることもあった。
理名のイラストを創り100万文字を紡ぐより、女性ライターが肌の透けたストッキングでも履いて太ももを見せた方が多くの拡散や認知につながるだろう。
そんなこともわかっていた。
それでも小説と言うファンタジーにこだわったのは、文字だけにしかできないことがあったから。
それは想像力の拡張だ。
私は幼いころから小説を読んできた。
投稿中のバスの中で恋愛小説を読み、主人公の心境に涙が止まらなくなり、バスの乗客に声をかけられたこともある(泣きすぎ)
文字の世界は現実世界には描けない幅広い妄想に満ちている。
作中に何日も監禁して拷問するような描写もあるが現実世界だと様々な理由でそれは難しい。
そしてその手のドキュメンタリーを実写で制作してもそれは、ヤラセであり、リアルな映像なのにどこか現実的なものが見え隠れしてかえって興醒めしたりする。
また、実写には大きなデメリットがある。
それはタイプと正反対な異性の全裸よりも、タイプの異性の下着や透けた肩の方がよほど興奮するということだ。
つまり人間とは身勝手なほど「何を行うか」よりも「誰が行うか」が重要なのだ。
小説と言うものはその「誰」を自分の都合よく置き換えてしまう。
私がバスで号泣した主人公は、私好みのさらさらした髪の毛で、華奢な体を持ちながら、だらしなくボタンを空けた胸元は浅黒く日焼けして、少しの筋肉を帯びていた。
繊細な女の子のようなメンタルを持ちながら、人生の矜持や信念は男らしい。
そんな風に妄想した(当時のタイプね…)
物語には敢えて洋服や下着の色などの描写を入れてはいるが、本当はそんなことなど描く必要などないと思っている。
現代のあまりにも映像ありきの世の中にアジャスト(調整)するため、少し想像しやすい仕掛けを入れているだけだ。
皆の中の「理名」は、それぞれの「理名」であり、それぞれの理想になる。
それが作者の願いであり、小説ならではの、小説でしかなしえない魅力なのだ。
「理名」と言う主人公が愛情深いと感じる人も、冷酷非道と感じる人もいると思う。
孤独と映る人もいれば、孤高と捉える人もいるだろう。
それでいい。
そうして自分の都合の良い様に作中の登場人物を書き換えていくことこそが、人々の想像が拡がる瞬間だ。
そんな想像力はいつしかクリエイティブと言われるものになる。
きっかけはSM小説だった。
だけどそこで想像力が磨かれ、新しいことに興味を持った、性癖が深まった・拡がった。
人生や愛や、仕事にももしかしたら好影響があるかもしれない。
私のバスの中の号泣と、あなたのバスの中の興奮。
それは同じように心が磨かれる大切な一幕。
その一幕を提供できる作者でありたい。