無類の醤油ラーメン好きの人が塩ラーメンが嫌いだったとする。
だけど、塩ラーメン専門店に並んでいる人をバカにしないよね?
これがSMになると、他の人の性癖や好きなことを「ありえない」「キモイ」「そんなのSMじゃない」と言い出すわけです。
他方で・・・
あなたは子供の頃に何が嫌いだったでしょうか。
ピーマン?トマト?わさび?珍味?
そしていま、子供の頃に嫌いだったけど好きになったものはありますか?
また、ピーマン好きなあなたはピーマンが嫌いな子供に「ピーマンも食えないのか、あんなに美味いのに。お前って子供だな」って言いますか?
人は年齢や経験を重ねることで許せる範囲、好きな範囲、好きではないけど理解できる範囲が拡大してくことは食べ物を見ればわかると思います。
生きるために人は食べなくてはなりません。
それが食欲です。
そしてその欲を満たすための好みは、生きていく過程で変化していき基本的に食べられるものの範囲は拡がっていきます(一般的には)
「性」とは生きる心と書きます。
性欲とは性を満たすための嗜好や行動です。
そしてそれは食と同じように生きていく過程や経験で拡がるものだと私は考えます。
想像してみてください
「明るい所でするのが好きなの…。丸見えってなんか恥ずかしくて好き」って女の子がいたとして、処女の時からそう思ってましたか?
経験を重ねる中で、色々なものを発見して、好みが拡がり自分の好みを手に入れたのです。
そして”彼女”はいつしか、「逆に真っ暗で何も見えない手探りもエロい」とか言い出したりするものです。
性において他人の嗜好を理解できない、わからないというのはもしかしたらアナタが経験している範囲や性について考えてきた時間の少なさを表現してるのかもしれない。
さあ、性癖を拡げよう
20代前半で「えーそんなのありえなーい」と言ってる人と、50代で「ありえない。マジきもい」と言ってるのは話が違います。
年齢を重ねてどれだけ人生経験が豊かでも「性とはかうあるべき」が強い人を見ると、あんまりモテなかったのだろうと私は考えてしまう。
「わかりません」「できません」「キモイ」「意味不明」「変態」と相手をこけ下ろす前に、『なぜその人はそれを求めているのか』を考えてみるといいと思います。
その考えた時間は、相手への理解、相手との距離につながり、未来に出会う人との友好関係の通行手形となります。
私どもセクシャルリベンジクラブは、M男もの、M女もの、レズもの、カップルものなど多くのジャンルを描いています。
これは作戦です。
今日(こんにち)、性というものが禁忌でタブー視される日本において、
まだまだ「俺はこういうのが好き、でもあいつのあの癖はキモイ」と思っている人が多いからです。
なので、敢えてジャンルを複数持つことで多くの方に刺さる様にしています。
だけどね。
本当の理名が描くSMは一つでいいと思っている。
一つの物語の中であらゆるジャンルや性癖をインクルードすることも可能なんだけど、それだと人を選んでしまい「M男もの?じゃあいいや」とS男の人は思ってしまうし、
「レズもの?じゃあいいや。俺は男に犯されてる女がすきだから」と思われてしまう。
なのでいまは色々なジャンルを提供したいと思っています。
でもね。
いつか私のファンの方や読者の方が「この人が描くものは言いたいことは一つなんだ」と気づく夜明けがくると思います。
いや、その夜明けが来ることを願って描いています。
最後に
他人が興奮するものをキモイと思うその気持ちは、あなたの人生の貧しさの象徴だと考えてみてください。
これは批判ではありません。
だって、あなたの人生は豊かで許せる範囲、好きな範囲が多く、広いほうがずっとずっと楽しくなることは間違いないんだから。
「キモイと誰かを想う”アナタの好きなこと”は、誰かにキモいと思われている」
他人(ひと)の性癖を尊重し合える世の中でありたい。
LGBTQ差別が終わったら、SM/DS差別もなくそうね笑
理名